タイムラグドア

妄想に浸った後の、思考のお片づけ

人生を「レール」ではなく「定跡」として考える

チェスの元世界チャンピオン、ガルリ・カスパロフが述べた言葉
 
二〇〇五年六月、わたしはニューヨークで米国で優秀な若手棋士の一団を相手に特別講習会を開いた。参加者には、批評用の素材として勝ったときと負けたときの二つの対局記録を持ってくるよう指示していた。一二歳の才能ある棋士が、破れた対局の序盤の手筋を早口に語った。自分がしくじったと考える地点に早く到達したかったのだろう。私は彼を制止し、激しい序盤の中で、あるポーンの突きを使った理由を尋ねた。彼の答えにわたしは驚かなかった。「バリュホが使ったから!」スペイン人のグランドマスター、バコ・バリュホ・ポンスが最近の対局でその手を用いたことは、もちろんわたしも知っていた。だが、それを使う理由を理解していなければ、その少年はすでにトラブルに向かって突き進んでいたことになる。
 
ブライアン・クリスチャン
”機械より人間らしくなれるか? AIとの対話が人間でいることの意味を教えてくれる”
吉田晋治(訳)、草思社、pp.167、2012年6月4日第1版
 

 

 
よく「人生のレールに〜」という比喩表現を聞きます。
しばらく前にも話題になっていました。
 
レールに乗っていた方が良い、または外れたほうが良いということでよく議論になりますが、私には分かりません。
それよりもレールに例えるのは少し違うように思えるのです。
先の見えない将来において確実に得をする、有利になると分かっており、大勢の人が選択する道のりのことを私は「レール」と呼ばず、「定跡」と呼びます。
まあ、上記で引用した「機械より人間らしくなれるか?」という本の受け売りなんですけどね。
 
 
ゲームにおける「定跡」
チェス、将棋などのゲームにおいて必勝法はありません。
駒の動かし方は何百通り、何千通りとあります。
しかし先人たちの研究によって、「勝率の高い指し方」を突き詰めるといくつかのパターンがあることが分かっています。
これらを定跡と呼び、序盤は必ず定跡から始まり、終盤も定跡で終わります。
例えば将棋における初めの一手の定跡は、遠くまで動ける飛車か角行の通り道を開けるための 2六歩 or 7六歩 のどちらかです。
そこから矢倉囲い、棒銀居飛車穴熊などいくつかのパターンをとります。
序盤のこの間は、お互いに定跡を続けている間は様子見の状態であり、ある程度結果は見えています。
 
しかし定跡はずっと続くわけではありません。
実力のあるプレイヤー同士であれば、定跡を続けていても決着はつかないからです。
そのため中盤になると必ず「定跡を離れる瞬間」があります。
自分から定跡とは違う一手を打ったとき、あるいは相手に打たれたときです。
そこからが本当の勝負です。
脳みそをフル回転させて、定跡に頼らない自分の一手を打たなければなりません。
そして終盤近くに相手のミスを見出すと、「詰めの定跡」を用いて相手を追い詰めます。
 
 
人生における「定跡」
いわゆる一般的に言われる人生のレールというものは、私は人生の定跡のことだと思っています。
そもそも人生は誰かとの戦いというわけではないし、明確な勝利の条件はありません。
しかし私は、人生序盤の定跡は存在し、大抵の人は最初にこれを頼るものだと考えます。
それ自体は悪いことではありません。
できるだけ若いうちに、”良い学校”に通い、新卒で”良い企業”に入社するのが「人生の定跡」です。
定跡が定跡と、時に王道だと言われるには必ず理由があります。
しかし、人生のうちでいずれは定跡から外れる瞬間がきます。
入った会社が理想と違うから、自分から定跡を離れる一手を打ってみる。
突然の人事異動やリーマンショックのような、定跡から離れた一手を打たれた。
その瞬間からは自分で考えなければなりません。
 
定跡を離れれば、もうチャンスは無いのだろうか?
お金がもっと必要になるのだろうか?
もうあの人には、あの会社には頼れないのだろうか?
これからどうやって生きていくんだ?
 
周囲の人たちは、各人の思う「人生の定跡」をあれやこれやと議論しています。
しかし同じように見える人生のゲームでも、みんなが同じ状況でプレイしているとは限りません。
豊かな人はたくさん持ち駒があるでしょう。
そもそも他人の駒の動き方があなたの駒のものと違うのかもしれません。
あなたに適用されるルールが突然変更されるのかもしれません。
 
 
まとめ(私の場合)
私が一番恐れることは、定跡の意味を考えることなく使うことと、定跡から離れる瞬間をしっかりと認識していないことです。
 
私は昨年高専を卒業して新卒で中小企業に入社しました。
「新卒で入社」という定跡は私にとって頼りになるものでした。
ぺーぺーの私でも月20万円ほどの給料を貰いながらスキルと知識、経験を得ることができました。
さらに健康保険、年金、税金などの面倒臭い手続きを代行して貰いながら行政のサービスを受けることができたのです。
しかし発達障害ADHD)と診断され、今年退職しました。
会社の上役から「君がこのまま頑張ったとしても、将来的に出世したり部下を持ったりすることは難しい」と言われて、定跡から外れることを決意しました。
 
「ここからは必死に考えなきゃ」
私は自分にそう言い聞かせ、現在は再び就活に勤しんでいます。
 
ADHDであることオープンにして障害者雇用で働くという一手
またはクローズにして一般雇用で働くという一手
あるいはそれ以外の一手
現在、次の一手を打つために長考しております。
 
それでは、また
 
余談
人生のレール、と聞くといつもこの曲を思い出します。
Yellow Studsみたいなバンドがもっと有名になると良いと思います。